2100年01月01日

エルメス

エルメス (Hermès) は、フランスの会社、エルメス社が展開するファッションブランド、商標名のこと。エルメス社は馬具工房として創業したが、自動車の発展による馬車の衰退を予見し、鞄や財布などの皮革製品に事業の軸足を移して成功した。

エルメス社の母体になったのは、ティエリ・エルメス(1801年〜1878年)が1837年に開いた馬具工房である。ナポレオン3世やロシア皇帝などを顧客として発展した。

ティエリの孫にあたる3代目のエミール・モーリス・エルメス(1871年〜1951年)は事業の多角化に着手した。1890年代には、馬具製作の技術を基にエルメス最初のバッグサック・オータクロア(sac haut-à-croire)を製作。1927年に時計を発表。さらに服飾品・装飾品・香水などの分野にも手を広げ、それらの製品のデザイン、製造、販売をすべて手がける会社になった。

特に馬蹄柄のスカーフとケリーバッグで人気を獲得していった。ケリーバッグは1935年に発売されていたが、当初は「サック・ア・クロア」(sac-à-croire)と呼ばれていた。後に女優のグレース・ケリーが愛用、特にカロリーヌ皇女を懐妊し、写真を撮影された時とっさにお腹を隠したのがこのバッグであったことから有名となり、1955年に正式に改名された。「サック・ア・クロア」=ケリーバッグは本来、サドルバッグ(鞍に付けるバッグ)を婦人用に改良した物である。

ケリーと同様の人気を誇るバーキンの名も、当時のエルメス社社長であったジャン・ルイ・デュマ・エルメスが飛行機の中でたまたまイギリス出身の女性歌手ジェーン・バーキン(当時の夫はセルジュ・ゲンスブール)と隣合わせになり、彼女がボロボロの籐のカゴに何でも詰め込んでいるのを見て、整理せずに何でも入れられるバッグを作らせて欲しいと申し出たエピソードに由来する(なおバーキンの原型はオータクロアであるが、いまやオータクロアをはるかにしのぐ人気である)。

このように、エルメスのバッグには発注者ないし最初の所有者の名が付いたモデルが多く存在する。比較的時代が新しいものでは、スーパーモデルのエル・マクファーソンが発注したエル(巾着型で、底の部分に化粧品を入れるための外から開閉可能な引きだしが付いている)、日本人男性が発注した大型旅行鞄マレット・タナカがある。

日本では女性の支持率が高いが、バッグなどでは男性からの支持も高く人気も絶大であり特にフールトゥやエールラインは価格も手ごろな為に定番バッグとして活躍している。

またエルメス社が初めて作った社史は 漫画形式で、日本の漫画家竹宮恵子(中央公論社 (1997/04) )に依頼して制作した。

2004年、マルタン・マルジェラの後継として、ジャン=ポール・ゴルチエがデザイナーに就任。2004年パリ・コレクションではエルメスの伝統である馬具・皮革製品を意識し、伝統に配慮しつつ、オレンジ・黒を中心とした鋭角的でかつブランドの風格を意識したデザインを発表した。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年06月04日

アウトレットモール

アウトレットモール(Outlet mall または outlet centre)とは1980年代にアメリカ合衆国で誕生した新しい流通業(小売業)の形態で、主にメーカー品や、いわゆる「ブランド品」(通常、百貨店などで高額で売られているもの)を低価格で販売するショッピングセンターのこと。

アウトレット(outlet)とは、もともとは(水・煙などの)出口・捌け口、または電気のソケット・コンセントという意味。流通業界ではブランド・メーカーの衣料品やアクセサリーなどの、流行遅れの商品や売れ残った商品、多少傷の付いた商品(いわゆる「半端もの」「訳あり品」「棚ずれ品」)などを販売する「在庫処分店」を主に意味する。ブランドとしては、俗に言う高級ブランドを始め、スポーツ用品系のブランドが多い。

店舗の形態としては、メーカーなどが自社企画品や自社生産品の直接販売を行う「ファクトリー・アウトレット」と、小売店がメーカーから仕入れた在庫品を販売する「リテール・アウトレット」という2つの形態がある。

アウトレットモールでは、多くの場合、販売するブランド名が掲示されたファクトリー・アウトレットの形を取っており、多くの「ブランド」ショップが一箇所に集結する形を取っているため、モールと呼ばれる。多くは、高速道路や幹線道路沿いの郊外に立地している。

日本では1993年(平成5年)に埼玉県入間郡大井町(現・ふじみ野市)にアウトレットモール・リズムが開業したのがはじまりである。その後、地方を中心に建設が進んで、2007年現在、全国に20ヶ所以上のアウトレットモールがある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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プレタポルテ

プレタポルテ(prêt-à-porter)とは、フランス語で「用意が出来ている」という意味のプレ(prêt)と「着る」という意味のア・ポルテ(à-porter)を合わせた造語で、すぐに着られる服、つまり既製服の意味である。

それまで既製服は、既製品という意味を持つコンフェクションやレディ・メイドと呼ばれていたが、これらの言葉が大量生産された粗悪な安物、というニュアンスを持っていたため、それらと区別するために造られた言葉であり、日本語では高級既製服と訳されることが多い。

プレタポルテ・コレクションのコレクションとは、展示会のことである。世界最大のファッション展示会として知られるパリ・コレクション(パリコレ)は、もともと、限られた個人客からの注文により、一点一点手作業で服を制作することで知られる、オートクチュールの展示会として始まったが、1960年代からプレタポルテ・コレクションも開かれるようになった。パリ・プレタポルテ・コレクションでは、日本人を含む、フランス国外のデザイナーも大勢活躍している。オートクチュール・コレクションよりもプレタポルテ・コレクションの方が規模が大きいため、今ではパリコレといえば、プレタポルテ・コレクションを指す場合が多い。5大コレクションと言われる規模の大きい展示会で、パリ以外の、ロンドン、ミラノ、ニューヨーク、東京のコレクションは、いずれもプレタポルテ・コレクションである。

現在ではオートクチュールのほとんどが、プレタポルテも手がけている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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オートクチュール

オートクチュール(Haute couture)とは、フランス語で高級仕立て服、という意味。一般に、注文により造られる一点物の高級服のことを示す。ファッションビジネスの世界では、パリのオートクチュール・コレクションへの参加規定を満たしているパリの高級衣装店組合(通称「シャンブル・サンディカ」)加盟店で作る洋服のことを指す。

 20世紀初頭までパリには多くの高級仕立て店が乱立しており、「オートクチュール」の規格も曖昧であった。イギリスからやってきたデザイナーのシャルル・フレデリック・ウォルトがこれらの高級仕立て店を組織化した。 

 シャンブル・サンディカの設立により、それまで顧客の一方的な注文や、ある程度の規格の中から顧客が好みのデザインを指定して作ったり、デザイナーが客の希望を聞きながらデザインする服作りが、デザイナーがデザインしたものを顧客の体に合わせて仕立てて売るという『デザイナー主導』になり、顧客にとって「デザインを買う」=「芸術作品を買う」ということになった。単なるオーダーとの違いや芸術性から、デザイナーの社会的、芸術的地位が大いに高まった。一部のメゾンはスカート丈や袖丈にいたるまで少しのデザイン変更も許さないと言われている。

 シャンブル・サンディカは、コレクション後に大量に溢れるコピー品にも対応し、新聞や雑誌へ公開まで期限の条件をつけたり、取材するメディアが全ての店(メゾン)を取材できるようにコレクションのスケジュール化を行い、海外メディアへのアピールにも大いに貢献している。

 加盟には様々な規定があり、それらをクリアしなければならない。例えば1年に2度のコレクションを開催、コレクションでの発表数、アトリエの常駐スタッフの数、専属マネキンの人数など厳格を極めた。しかし70年代の高級既製服=プレタポルテの台頭により影響力や社会的役割を変えていかざるを得なかった。規定も毎年のよう緩やかになり、顧客の減少という課題を背負いメゾンを維持させていくことが大きな課題になった。加盟店はメゾンと呼ばれ、生地の選定から縫製まで一貫して行うためのアトリエを持っている。コルセットなど特別の部分を除いてはフル・ハンドメイド、つまりお針子さんが一刺し一刺し手縫いをして完成させる。刺繍もレースもみな手編みである。時にはプリント柄さえもデザイナーが描き、布に転写し生地にすることもある。完成までには2、3度の仮縫いをして、最後に本縫いということになる。刺繍、羽飾り等は専門のアトリエに外注されることが多い。刺繍の「ル・サージュ」などが有名。

 現在はシャネルなどの一部のメゾンを除いてはほとんどが赤字経営。それでもなおオートクチュール部門を会社が閉鎖しないのは、オートクチュールコレクションを行っていることでブランドとして「格」が上がり、プレタポルテや香水、ライセンス事業の売り上げに多大な影響があるからである。

 値段が非常に高く(シャネルは約200万円)、顧客は一握りの大富豪に限られている。顧客は1950年代以降、減少し続けているため、現在ではメゾンのほとんどがプレタポルテ(既製服)も手がけている。現在の各メゾンの顧客の合計総数は明らかにされていないが、一説には毎シーズンごとに注文をする顧客は世界中で500人くらいと言われている。「モードの夢」としてはいまだにヨーロッパの王侯貴族やアラブの王族、国際的に活躍する女優、ファースト・レディ達には欠かせないものである。ジャクリーン・オナシス(元ケネディ大統領夫人)はバレンティノ、オードリー・ヘプバーンはジバンシー、カトリーヌ・ドヌーブはサンローラン、マドンナとクリスチャン・ラクロア、ゴルティエ等。シャネル、ディオールといった一流メゾンのオートクチュールのアトリエに自分の名前の記されたリアルサイズのトルソー(マネキン)を置くというのは大変な誇りでもある。

 1950年代まではパリコレといえばオートクチュール・コレクションのことであったが、パリでは1960年代からスタートしたプレタポルテ・コレクションがその後隆盛を極め、現在ではパリコレといえばプレタポルテ・コレクションを指す場合が多い。毎年1月と7月に開催されるパリ・オートクチュール・コレクションには、サンディカ正式加盟店とフランス国外招待メンバー、招待されたブランドだけが参加できる。

 最近はプレタポルテコレクションよりもオートクチュールコレクションの方がブランドの数が少ないために、あえてオートクチュール・コレクション会期中にプレタポルテを発表してメディアへアピールするブランドもある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ファッション

ファッションとは、服飾や髪型・化粧などのスタイルや装いのことである。なかでも特に、人々のあいだで流行している服装を指す。

英語で「流儀」や「流行」を意味する "fashion" が語源であるが、日本語に取り入れられた際には冒頭のような意味のみを指す言葉になった。

これにより本来の意味から外れて、「定番のファッション」や「ファッションの流行」などといった言い回しが可能になっている。ただし、流行をより明示的に表すために「着こなし」と呼ばれることもある。

日本では毎年様々なファッションが生まれている。多くのファッションはファッションデザイナーによって生み出されている。しかし最近では、一部の流行を紹介するファッション雑誌や、「ストリート」が新たなファッションの作り手となることもあり、多様化している。

また、ファッションの流行を紹介するファッションショーが世界各地で行われている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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エルメスの品質

花の都、フランス・パリ。フォーブル・サントノーレ24番地[Hermes, Faubourg Saint-Honore]にエルメスの本店がある。 日本以上のエルメスブームはもちろんのことだが、その人気はバッグであり、その中でも一際人気があるのはケリー・バッグ[KELLY BAG]。その上質さは、アトリエでの制作風景から伺える。パリから自動車で約30分の[パンタン]という小さな街に、アトリエ・エルメス[LES ATELIERS HERMES]がある。革は「革保管部[Reserve Cuir(フランス語では"Re"の"e"にアクセントがある)]」で保存される。世界中から上質の革が取り寄せられている。ここでは、温度や湿度に細心の注意を払って保存をしているという。革の保管は難しいのである。

革が使われるとき、革のどの部分を使うかも重要である。牛革はショルダー(首に近い部分)、バット(背中)、ベリー(腹に近い部分)に分けられるが、エルメスに使われるのは丈夫なバット部分だけである。この牛革も、1万頭から30枚しかとれない、無傷なものを使わなければならない。また、オーストリッチ[ostrich]つまりダチョウの場合も、大きな突起のある部分しか使わないという。ダチョウの革の突起というのは、毛穴部分で、羽のある部分にしかない。そして、アリゲーター[aligator]の場合、大きな模様のある部分しか使わないのだ。普通、アリゲーター革の模様の中心をセンターに、左右対称になるように切り抜く。つまり、1つのバッグを作るのに、2匹のワニが必要になる。そのため、何十年程度では駄目にならないほど丈夫だ。これは、当初作っていた丈夫な馬具を作っていたためだろうし、馬具といったらエルメスというほど評判で、かのナポレオン3世や、ロシア皇帝ニコライ2世も愛用していたようだ。

やがて、19世紀に入り自動車が発達すると、3代目社長エミール・モーリス・エルメス[Emile-Maurice Hermes]が『馬具からバッグ』の制作を開始した。エルメスは、馬具作りの経験を生かし、女性用のバッグや財布を手がけるようになったのである。1903年、フォード社が自動車を販売開始したちょうどそのころである。エミールの決断は正しかったのだ。エミールには、自動車メーカーの友人がおり、移動手段の転換時期を察したのではないだろうかと考えられる。アトリエ・エルメスの屋上にはHERMES/SELLIER(鞍屋エルメス)が残っており、今でも完成まで1つ27時間かけて馬具を作り続けている。これはエミールの願いであった。エミールの死後、彼の部屋はまだ残されているという。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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